花拓里の館

花拓里の館 -かたくりのやかた-

ぼたん園入口の並びにある茅葺屋根の古民家風建物。

ぼたん・しゃくやく祭り期間中は陶芸展を開催。

その他の期間は子供会の行事、お琴の発表会、地元語り部の方々の交流の場としてご利用いただいています

遠くの山や風景を眺めながら、また古の生業に思いを馳せながらのんびり心の休息を取るのに絶好の空間です。

~花拓里の館にまつわるお話~

流(ながれ)地方の農民を塗炭の苦しみから救った義民「千葉惣左ェ門」とその生家

 寛政九年(一七九七年)は方々で藩の土台骨を動かすほどの大一揆が起きた。

当時、天明の大飢饉からいくぶん立ち直ったとはいえ、藩の財政は借財が増加したため御買米、御手伝金等を強化して農民の余剰米を収奪しており、この一揆は起こるべくして起こったものといわれている。

 当、流地方もこの一揆にまきこまれ、生きるための願いと希望を叫ばずにはいられない農民の目覚めからであった。

 寛政九年四月二三日、十八ヶ条からなる訴状を掲げ、田村領十三ヶ村一三〇〇人が一揆に参加した。

(十三ヶ村とは…涌津、上油田、下油田、蝦島、中村、金森、清水、金沢、峠、男沢、日形、揚生、富沢)

 未だかつて「お上」に対し自分の意見を強引に申し開きした経験のない流地方の百姓たちが団結して行動を起こしたことは農民意識の一大改革であった。

 訴状は受納されて要求は認められたが、峠村総訴状人代表であった惣佐ェ門は、五月中旬に召し取られ御牢入りとなり、翌十年の冬、百姓一揆の統頭人として落首の御仕置きとなった。齢三十七歳、まさに男盛り、一家の大黒柱として働き盛りであった。

 現在のこの住家は、宝暦十二年(一七六二年)に惣佐ェ門が生まれ育ったところであり、江戸後期における農民文化を知る建築物としてきわめて貴重な歴史の遺産である。

 この建物は平成九年三月、当地区内峠沢から移築したものである。

                               平成十五年三月

                                 おらほの伝承事業実行委員会

※こちらのお話は花拓里の館前に掲示されております。

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